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4年 菅原大幹[選手ブログ]

投稿日時:2019/12/28(土) 12:00

2019年9月22日 vs一橋大学

試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、仲間の顔を見た。

抱き合って喜んでいるメンバー

拳を突き上げて喜んでいるサポートメンバー

泣いて喜んでいるマネージャー

その光景を見て、心の底から幸せを感じると共に、嬉しかったことよりも挫折の方が多かった自分のラグビー人生を振り返り、こう意味付けた。

「この瞬間のために17年間ラグビーを続けていたんだな。」

僕は57人の仲間と共に過ごしたこの一年を一生忘れない。



遡って2018年シーズン 2勝4敗1分

結果こそ出なかったものの、他校との距離は格段に縮まり、上智大学ラグビー部は大きな一歩を踏み出した。

そして2019年シーズン、有難いことに多くの方々が期待を寄せてくれていたと思う。

自分自身も結果を残すなら今年しかないと、人生を懸けてシーズンに臨んだ。



しかし蓋を開けてみれば、春シーズン、僕は怪我で試合に出場する事が出来ず、チームの調子は一向に上がらずにいた。「今年のチームは大丈夫なのか…」「去年と比べて…」そんな声が耳に入ってくる中、主将として最前線で体を張り続ける事が出来なかった。悔しさと情けなさから、胸が張り裂けるような思いだった。

ストレスからか、39度の高熱と腹痛が2週間ほど続き、死にそうになりながら練習に参加していた時期もあった。



頭の中の理想からかけ離れていた現実。

「こんなはずじゃなかった。」そう思った瞬間が何回もあった。

挫折し、目標を見失い、道に迷い、正直自分に負けそうになっていた。

厳しい現実を突きつけられた時、57人のチームメイトの顔を見る。

ここで自分に負けるわけにはいかなかった。僕にはこの57人の仲間を目標へと導き、幸せにする責任があるからだ。そして夢中で自分に問いかけ続けた。



「僕はなぜラグビー部に入り、続けているのか?」

「僕はラグビー通して何を成し遂げたいのか?」

「一体僕らはどこを目指して、何をしたいのだろうか?」



問い続ける中で、僕が上智大学ラグビー部の部員として成し遂げたい事が明確になった。

それは、「大学ラグビー界と学生スポーツ界に衝撃を与える事」だ。

どうすれば衝撃を与える事ができるのか。答えは簡単だ。



「日本一」



想像しただけで鳥肌が立った。心の底から燃えた。

上智大学ラグビー部には、他校のような芝生のラグビーグラウンドや十分なウエイト施設もない。スポーツ推薦がなく、雨の日は学校近くの公園で練習をして、平日はコーチもいない。そんな上智大学ラグビー部だからこそ、日本一になった時、大学ラグビー界や学生スポーツ界にとてつもなく大きい衝撃を与えることが出来る。



そこから僕は、「日本一」というビジョンを見据えて上智大学ラグビー部と向き合った。

上智大学ラグビー部が日本一になるには一体何年かかるのだろうか。きっと頂上が見えない山を登るようなものなのかも知れない。だから今、僕に出来る事は頂上を少しでも鮮明に見えるようにする事だと思った。要するに「打倒一橋・対抗戦4勝」という今シーズンの目標を達成する事である。



その目標を達成した今、僕の頭の中には日本一までの道筋が明確に見えている。

入替戦に出場すれば、対抗戦Aの壁に何度も跳ね返されるだろう。

しかし上智大学ラグビー部は対抗戦Aに上がる。

昇格すれば、対抗戦Aの強豪に何度もボコボコにされるだろう。

しかし上智大学ラグビー部はその中で1勝して、4勝して、優勝する。

大学選手権に出場すれば、関西の大学やリーグ戦の大学を相手に苦しむだろう。

しかし上智大学ラグビー部は全国で勝てるチームに成長する。

そうして「日本一」になる。



不可能だと笑う人もいると思う。

出来ない理由を探せばたくさんあるのかも知れない。

でも、なぜ僕らは大学生にもなって体育会に所属しているのかを考えて欲しい。

一体何を得るために学生生活の多くの時間を費やし、キツい練習をして、苦しいと思われる道を選択したのだろうか。

それは間違いなく上智大学ラグビー部の大義として掲げた「人としての成長」を手にするためだと思う。

出来ない理由を探し、自分たちの可能性に挑戦せずに過ごす四年間の先に「人としての成長」は待っているのか。恐らく待っていない。

僕たちは自分が選択した四年間を価値のあるものにして、「人としての成長」を手にするために、上智大学ラグビー部という環境を使って挑戦を続けるべきだ。



そうして挑戦を続けていき、上智大学ラグビー部は日本一になる。

スポーツ推薦もなく、グラウンドもなく、雨の日は学校近くの公園で練習しているチームが日本一になり、大学ラグビー界と学生スポーツ界に衝撃を与える。

僕は笑われてもバカにされてもこの夢を語り続ける。

そして、勢い余って人よりも一年だけ多くなってしまった残りの大学生活で、引き続き「人としての成長」を追い求めていきたい。





長くなりましたが最後に、

今年一年間上智大学ラグビー部を応援してくださった全ての方々。

本当にありがとうございました。来年の上智大学ラグビー部の活躍を期待していてください。これからも上智大学ラグビー部をよろしくお願い致します。



そして57人の仲間たち。

最高の一年間をありがとう。そして来年、もっと強くなろう。執念を燃やして。





2019年度

上智大学体育会ラグビー部

主将 菅原大幹



4年 安西真也[選手ブログ]

投稿日時:2019/12/27(金) 19:39

「変化」



こんにちは。4年の安西真也です。



OB会、サポーターズクラブの皆様、日頃より、沢山のサポート、ご声援を本当に有難うございます。僕たちがラグビーをできているのは皆様のサポートあっての事です。これからの上智ラグビー部にもご声援を宜しくお願い致します。



僕はこのブログで、上智ラグビー部に居れたことで自分がどう変化したか、を書こうと思う。



僕は1.2年の時、自分にしか関心がなかった。試合に出て、活躍して、結果を出す、それが自分の強い願いだった。

それでこそ体育会。チーム力に直結する。運もあって、僕は1.2年の時試合に出させて頂き、部活を楽しんでいた。簡単に言えば、自分さえ満たされていれば、それで良かった。

しかし3.4年は打って変わった。

個として、結果で貢献する事が全くできなかった。チームに結果が出始めた嬉しい2年間であると同時に、個人としては正直、もがいた2年間だった。そして、このもがいた2年間は僕の価値観に大きな影響を与えた。



3年時、足首の手術でメンバー争いから外れ対抗戦に出られない事が決まり、プレーで活躍する、という自分の中の理想、大前提が崩れた。大澤コーチが来て、めきめき強くなるチームの中で、自分のチームの中での存在感が低くなるのを感じた。何のために頑張ったんだろう、何のために2400m9分30秒にこだわって走り込んだんだろう。言葉に出来ないほど悔しかった。勝手に孤独になってしまった。



しかしそんな時も、沢山の人が本当に支えてくれた。お見舞い、メッセージ、いつも通り話しかけてくれたり試合で体を張ってくれる部員、親身に寄り添って励ましてくれる友人、そして家族、

書ききれない。

これらの支えにどれほど救われたか。

この支えがなければ今の僕はいない。絶対に。

本当に全ての人に感謝してもしきれない。この時に、自分はどれだけ沢山の人に深く支えてもらっているのかを知った。そして、チームの勝利のために自分にできる事を探して打ち込もうと思った。それがチームの為でもあり、自分の為でもあったから。この経験が僕の3.4年の行動の指針となった。これからも大切な道標になってくれるはずだ。



そして、4年の6月、復帰した時はみんなが、おかえり、と言って迎えてくれた。復帰戦、大雨の慶應理工や上南戦でのトライは、みんなへの有難うが溢れ出した。

しかし、復帰したと思えば4年の菅平夏合宿で膝の怪我。メンバー争い真っ只中、対抗戦直前であり、そこからまたジャージが遠のいた。



今年もか。色々、1人で思うことはあった。



しかし、どんな役職でいようと、プレー出来ようと出来なかろうと、関係なかった。チームの為に、支えてくれる人の為に、尽力する。そしてそれは自分の力にもなったのだ。





僕は上智ラグビー部に居れたことで、チームの為に尽力する意義を学ばせてもらった。

これからの上智ラグビーを作っていく後輩たちには「チームの為に尽力できる」そういう文化をもっと大きなものにしていって欲しい。

ラグビー部には様々な価値観、立場がある。試合に出て必死に体を張って勝利を掴み取ってきてくれる人。リザーブに入っても試合にあまり出られない人。毎練習毎試合テーピングやウォーター、ビデオなどサポートしてくれるマネージャー。きつい練習を共に乗り越えてもエンジのジャージを着れない人。怪我や病気で思うように練習することが出来ない人。たくさんいる。



みんなでチーム。誰一人として欠かすことの出来ないチームだ。チームにモチベーションを保てなくなりそうな時、誰かを気に入らなく思ってしまいそうな時は思い出して欲しい。どんな人でも、自分に必ず一度、手を差し伸べてくれたことがあるはず。どんな小さなことでも良い。思い出して欲しい。そして、一人一人に恩返しをしていって欲しい。そんなチームなら一丸となって、さらなる勝利を掴めるはず。



そして、何よりも自分を信じ切って欲しい。

自分の可能性を誰よりも信じれば、必ず一歩目を踏み出せる。



試合で良いパフォーマンスができるかプレッシャーや緊張がある。メンバーを取れるか不安になる時もある。individualを繰り返しても上達を実感できない時もある。コンタクトが恐くてラグビーを楽しめないかもしれない。怪我や病気で復帰が見えず、あまりにも気が遠くなるかもしれない。



でも、どんな状況でも自分で一番自分を信じて欲しい。そこに可能性がある限り、そこに賭けてみてほしい。なんでも何かをしようとするとき、必ず何かリスクは伴う。



目の前に相手がいてもめっちゃアングル付けてトップスピードでボール貰いに行ったり、

思いっきり詰めてタックル行って仕留めてみたり、

怪我してたり、周りに控えめだった僕が自分に何かできるはずとリーダーズ立候補したり、

決断するのは自分。



確かに、何かやろうと思う度に、いちいち不安はよぎるし、他の人からの意見も出てくる。

プレーで部員と意見が割れる時もあったし、グラウンド外のことでも厳しい批判を言われた時もあった。その時は、たまに熱くなってしまったかもしれない。



その度に謙虚に聞いて、改善することもすごく大事だ。ものすごく大事。ただ、自分が判断して、やろうと選んだのなら決めきって、そこを思いきり良くやってやろう。



そんなチャレンジングなラグビー部でいてほしい。

打倒一橋、対抗戦4勝をチームみんなで達成した今も、チャレンジし続けて欲しい。



偉そうな事を書いたので、これから社会人として以上のことは自分も戒めとします。



そんなことを思いながら、最後の一年間、一人一人にとってひたむきになれるチームを、僕は目指していた。



その中で、一人一人が僕にたくさんの気づきを与えてくれ、成長させてくれた。僕がチームみんなに支えられ、救われていた。みんなのおかげで、どんな困難も乗り越えられた。

そして、上智ラグビーの新しい歴史、景色をみんなが見させてくれた。

僕は上智大学ラグビー部が大好きだ。

みんな本当に有難う。





4年 中矢健太[選手ブログ]

投稿日時:2019/12/27(金) 12:00

ついに引退ブログを書くときが来ました。というより、来てしまいました。でも、後輩に伝えるべきことはグラウンドの上で伝えてきたつもりやし、ブログでは同期が十分に伝えてくれていると思います。リーダーとしてやってきたことを振り返ったところで後悔は消えないし、ここでは書ききれない。ということで、ここでは、試合のたびにいつも神戸から駆けつけてくれた両親のことを書きます。



母はとにかく心配性だ。

幼稚園の頃、翌日の準備をするときは母お手製の持ち物リストのもと、再三の確認。「宿題やったの?」「明日の準備したの?」小学校に入学しても、台所から聞こえてくる母の声は変わらなかった。

今シーズン、私はとにかく怪我が多かった。シーズンインからリハビリ組で、夏前には膝に大きな怪我を負った。2ヶ月後の開幕戦に間に合わせるためリハビリに取り組むも、開幕3日前に右手首を骨折。そのまま2試合に出たが、3試合目を前に急遽手術することになった。



その時、電話口から聞こえた母の声は忘れられない。「明後日から入院するわ」と伝えると「えぇ、もうほんまに」と、驚きと焦りが混じった声で心配された。1人で大丈夫や、と言い張っても「とにかく行くから」と2泊3日の入院生活に神戸から飛んできた。退院後、電話とラインは毎日届いた。手術から3週間後の試合に出る、と言うと「ほんまに無理しないで」「その次でもいいんちゃうの?」。とにかく心配された。でも出るから、と言い切ると「よく考えてね」と返された。

  そうして戦線に戻って試合を重ね、やっと調子が上がってきた矢先の出来事だった。

成城戦、後半20分。敵陣で味方がチョンとキックで上げたボールを取りに走った。「来い!」ちょうど手元に跳ね返った。絶妙なバウンド。右から追ってくる相手の姿が、視界の隅に映った。キャッチと同時に一歩で切り抜こうと、右足を着地した瞬間だった。

  「ゴリッ」



聞いたことがない音と同時に激痛が走り、倒れ込んだ。担架で担ぎ出された私の膝を触診したドクターは、顔をしかめながら言った。 

  「あぁ、やってるかもね」



翌日、診察で告げられたのは「前十字靭帯断裂」。プロ、アマ問わず、この怪我で多くの選手が苦しむ姿を見てきた。最後、まさか自分がそうなるなんて微塵も考えていなかった。

最終戦まであと12日。半ば諦めていた。百戦錬磨のトレーナー・須藤さんは「二週間で戻った選手は見たことがないです」と。でも、こう付け加えた。「最後です。やるしかないんです」。

  メンバー入りするかは分からない。でも、最後までやろうと思った。毎日ケアに通い、できることを徹底した。少し走れるようになると「え、走れるんですか」と、ある後輩が声をかけてきた。誰がどう見ても無茶だろう。それでも、どんな形であれ、生き様を示すことが四年生として果たすべき使命だと思った。

 そうして、最終戦はリザーブ入り。ギリギリの判断だった。前日、監督の北さんから送られて来たラインにはシビれた。

  「中矢。今日の練習でも脚を引きずっている姿を見ると正直俺の決断が正解だったのか。今も分からない。でも君を選ばないという選択肢はなかった。後悔ないプレーを期待する。ご両親に感謝!」

覚悟が決まった。出られない大幹のためにも、やるしかない。そして、家族にメンバー入りを伝えた。今までとは比にならへんくらい心配されるやろうな、と思いながら…。



  だが、この日の母はいつもと違った。 

 「明日がんばれー」



何かを悟ったのだろうか。届いたのは1通のラインだけだった。



  最終戦。ラスト5分だけ出場したものの、チームは敗北。シーズン5勝はお預けになった。多くの部員が泣く傍、俺は絶対に泣かない、と決めていた。この試合で涙を流せるほど、貢献できなかったからだ。

  だが、試合後のハドルが解け、母に会いに行ったときだった。その瞬間、自分でも驚くほどに涙が溢れた。心の中に抑えていた色んなタラレバ、悔しさ、複雑な想い。全てが溢れ出た。22歳にもなって恥ずかしながら「悔しかったねぇ、頑張ったねぇ」と言う母に、タオルで顔を拭かれながら泣いた。



 お母さん、今までたくさんの心配をかけてゴメン。どんなときも支えてくれてありがとう。そして親父、8歳でラグビーを始めた頃から試合のたびに、会場まで来てくれてありがとう。ラグビーを始めた頃から、トライラインの奥には、カメラを構えた親父の姿が必ずあった。上京しても、それは変わらなかったなぁ。二人とも、15年間、ラグビーを続けさせてくれてありがとう。

   

  ブログをご覧の皆様へ。

今シーズン、たくさんの応援を本当にありがとうございました。上智史上、No. 1の応援だったと思います。たくさんの方々が会場に足を運んでくださって、そして遠くからも応援していただけて、本当に嬉しかったです。その力強い応援がなければ、この結果には辿り着きませんでした。また、ご縁に恵まれ、いろんなメディアに出る機会も多く頂きました。上智大学ラグビー部をたくさんの方に知っていただけていたら幸いです。

  来年、もっと進化した上智ラグビーを後輩たちが魅せてくれると思います。僕もいちOBとして、それを楽しみにしています。



   愛すべき後輩たちへ。



取っ付きづらい先輩やったろうけど、絡んでくれてありがとう。表には出さんけど、心底嬉しかった。最後、大切にしている言葉を送って締めます。

「同じ言葉でも、誰が言っているかによって意味が変わってきます。だから、まず言葉が相手に響くような自分を作らなければならないと考えています。今は言葉を発することが先になってしまっている時代のように見えますが、言葉を発する前に、まず自分を作れよって思います。そうすれば自分なりの言葉が出てくるはずだし、人が聞いたときの伝わり方がまったく違ってくるはずです。だからまずは黙って、やること。言葉を発するのはそのあとでいいんです」(https://number.bunshun.jp/articles/-/839041?page=3



後悔なき選択を。



 2019.12.22



中矢 健太



藤井優佑[選手ブログ]

投稿日時:2019/12/26(木) 12:03

5年の藤井です。



最終戦の学習院戦で引退しました。大学ラグビーからだけでなく、ラグビー選手としても引退しました。このラグビー人生で学んだこと、特にこの5年間で学んだことについて書いていこうと思います。



中学校から始めたラグビーも気づけば11年間続けていました。シーズンが進むにつれて、自分の中で、あと〇試合かと数えるのも悲しくなっていったことを覚えています。



そんな中、対抗戦第4戦の明治学院戦で僕たちはぼろ負けしました。体を当てることもできず、簡単にトライをとられる試合展開でした。その試合中に、こんな試合で大事な1試合が終わってしまうのかと、自分自身に対して、とても情けなく思いました。この試合に勝っていれば入れ替え戦も本格的に視野に入る状況だったし、なにより、本当に自信を持って勝てると信じて臨んだ試合だったので、本当に情けなかったです。



もうそんな試合はしてはいけない、無駄にできる試合なんて1試合もない。そう自分に言い聞かせて、ラスト3試合に臨みました。そして最終戦。ゲームキャプテンとして臨んだ試合で、試合前にみんなにかけた言葉は、「試合終わった時に、自分たちを応援してくれてる人に、胸張ってやり切ったって言える試合にしよう」というものでした。ゲームキャプテンとしてみんなに伝えたかった言葉でもあるし、自分自身にも言い聞かせた言葉でした。



結果は負けたけど、「やり切った」と、家族に、友達に、応援してくれた人に心からそう言える80分でした。それと同時に気付きました。ラグビー終わったんだと。



ラグビーを通じて、本当に色んなことを学びました。中学では、このスポーツにおいて熱くなるとはどういうことか。負けて悔しいとはどういうことか。ラグビーを始めるきっかけ、ラグビーに夢中になるきっかけを与えてもらったのがこの時期でした。高校では、文武両道を極めること。感謝すること。ラグビーをすることで、人生が広がっていくことに気付くことができました。大学では、強い組織とはなにか。恵まれない環境でも食らいつく強さ。そして応援してくれる人のありがたさ。この11年間で、ラグビーを通じて学べたことは計り知れません。



「応援されるチームになろう」そういう大義をシーズンの途中で作りました。僕たちは環境に恵まれていません。グランドも雨が降れば使えない。学校のジムも不十分で九段下まで通ってトレーニング。お金がない。これは常にマネジメントする上での課題でした。そんな中で、寄付をしてくれるOB・OGの方々、グランドまで駆けつけてくださるサポーターズクラブの皆さん。そのほか、アマゾンほしいものリストで物品を寄付してくださる方々。そういった人のサポートがあるからこそ大好きなラグビーができる。強くなれる。そういった人たちに応援されるチームになろう。そのことが実現されたシーズンでした。



僕が大好きなキッチンカーのオムライス屋さん。毎週何気なくおしゃべりしていると、いつか試合見に行くねと。毎週おいしいオムライスも応援もありがとうございました。上智ラグビーフェスティバルをきっかけに僕らのファンになってくれた家族もいます。遠いから秦野の試合はいけないけど、といいながら秦野まで応援に来てくれたことは本当にうれしかったです。ありがとうございました。自分たちを応援してくれるファンを、自分たちの行動で作ることのできた経験は、かけがえのないものでした。これからも応援よろしくお願いします。



そろそろまとめようと思います。11年間のラグビー人生に悔いはありません。続けないともったいないという声もいただきます。とりあえず今のところはプレーするつもりはありません。その代わりといっては何ですが、今は高校生をコーチングしています。素直でまっすぐな彼らを相手に、僕も全力を尽くそうと思います。



ラグビーを通じて得られたものは計り知れません。11年間、様々なチーム、様々な仲間、様々な指導者に出会えたことで、僕の人生は豊かになりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。



上智大学ラグビー部 藤井優佑

4年 鈴木貴裕[選手ブログ]

投稿日時:2019/12/26(木) 12:00

中学生からラグビーを始め、これまでの10年間何度も壁にぶつかり、いつも悔しい気持ちで溢れていました。


 

 中学2年の時、右肩の脱臼&上腕骨が真っ二つに折れるという大怪我をし、治療のために二度手術をしました。医者からはもうラグビーをやめたほうがいいと言われてしまうほどの大怪我でした。もちろん医者の言ったことは無視しました。



 高校生の時には医者の言った通り、再度右肩を脱臼。その半年後にもう片方の肩も脱臼。100%でプレーしたくてもできない。そんな状態で試合にはかろうじて出ていましたが、100%でプレーできない自分がフィールドに立っていることに申し訳なささえ感じていました。



 大学生になってからも苦悩の連続でした。大学1、2年の時は常にどこかを怪我しており、正直言ってラグビーをプレーしていた記憶はほとんどありません。同期が試合で活躍する中、自分はグラウンド外からの傍観者。本当に悔しかったです。



大学3年になり、もう後がないという気持ちに溢れていました。春シーズンはほとんどの試合で先発出場を果たし、上南戦にも先発出場しました。しかし、菅平初戦でまたしても右肩を脱臼し戦線を離脱。そのままそのシーズンは終わりました。



ラストシーズン、チームとしては「打倒一橋、対抗戦4勝」という目標を達成しましたが、個人としては試合に出たり出なかったり、という立場であり複雑な気持ちでした。初戦の東大戦勝利に少し貢献できたことは自分としても達成感を感じられる瞬間でしたが、シーズンを通しては100%納得できるものでは到底ありませんでした。



もちろん中高大と今まで悪いことばかりではなく、それぞれの時に結果を残せることもありました。しかし、何かで優勝した時の嬉しさや達成感は、何かで負けた時に感じる悔しさに比べると一過性のものであり、記憶のほとんどは様々な勝負において敗北した記憶です。負けたことの方がいつも印象深く、僕の脳みそを埋め尽くしています。


 

 ところで、僕は大学で化学を専攻しているということもあり、大学院に進学しますが、これからもラグビー部に残り、下級生、そして大幹と一緒にまた新たな目標に向かって全力を尽くそうと思います。ここまで書いた通り、今までのラグビー人生、特にこの4年間は悔しさで一杯なので、終わりたくても終われない、そんな気持ちです。また、下級生や同期、卒業したOBまでもが僕に「大学院でも続けるんだよな?」と言ってくれたことは素直に嬉しかったです。僕がラグビーを続けることができたのは、そういったかけがえのない仲間がいたからだと思います。


 

特に印象的だったのは3年の吉澤から言われた一言です。


 

「たかさん、また来年もやり合いましょう」。



僕は今年の夏からSHもやっており彼も同じSHなのでずっとポジション争いをする相手でした。しかし彼はライバルである僕にSHとしてのアドバイスを夏から毎日してくれており、結果的には学習院大学との最終戦では彼はSHのリザーブから外れ、公式戦でSHとしてプレーしたことのない僕がメンバーに入りました。そんな僕にこんなことを言ってくる吉澤には本当に驚きましたが、ただの馴れ合いではなく、ラグビーを通じて真の仲間を得たと確信した瞬間でもありました。彼にとってはラストシーズンですが、彼がやろうというのだから仕方がありません。ゆうき、来年も頑張ろう。(まずは院試頑張ります。泣)


 

まだまだ書きたいことはありますが、また2年後にまとめて書きます。


 

4年間、ありがとうございました。あと2年、よろしくお願いします。


 

鈴木貴裕



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